1995年に登場したプリント倶楽部(プリクラ)の概要
1995年の夏、ゲームセンターなどのアミューズメント施設に新しい機械が登場しました。それが、アトラスとセガが共同開発したプリント倶楽部です。今ではプリクラという略称ですっかりおなじみですが、当時はカメラ付きのボックス型筐体に入って写真を撮影し、それがシールに印刷されて出てくるという画期的な仕組みを持っていました。
最初はゲームセンターの片隅に置かれているアーケードゲームの1つという立ち位置で、発売直後からすぐに大ヒットしたわけではなかったようです。しかし、テレビ番組で人気アイドルがプリクラを使って遊ぶ様子や、撮影したシールを紹介する場面が放送されたことをきっかけに、一気に全国的な知名度が上がっていきました。
硬貨を入れて好きなフレームデザインを選び、画面のカウントダウンに合わせてポーズを決めるという一連の作業は、友人や恋人と一緒に盛り上がれる新しい遊びとして注目を集めました。撮影した写真がその場ですぐに小さなシールにプリントされるというテンポの良さや手軽さも、多くの若者の心を掴んだ大きなポイントです。
女子高生文化から火がついたプリクラ手帳デコ
プリント倶楽部のブームを強力に牽引し、社会現象にまで押し上げたのは、間違いなく1990年代の女子高生たちです。ルーズソックスやポケベルなど、独自の女子高生文化が次々と花開いていたこの時代において、プリクラは彼女たちの日常生活に欠かせない必須アイテムとして急速に広まっていきました。
撮影したシールをただ集めて満足するだけでなく、プリクラ手帳と呼ばれる専用の小さな手帳や、流行していたシステム手帳に貼って持ち歩くスタイルが大流行しました。手帳のページにプリクラをぎっしりと隙間なく貼り付け、さらにその周囲をカラーペンやマーカーで彩り、文字やイラストを書き込んでデコレーションしていくのが、当時の女子高生たちにとって大きな楽しみの1つでした。
綺麗にデコレーションされた手帳は、学校の休み時間や放課後のファーストフード店で友人同士で見せ合うための大切なアイテムです。いかに可愛く手帳を彩り、いかに多くの友人とプリクラを撮るかが重視されており、手帳デコを中心とした新しい文化が確立されていきました。
若者たちのコミュニケーションツールとして定着
プリクラが単なる一過性のブームで終わらず、長期間愛され続けた背景には、写真シール機を超えたコミュニケーションツールとしての役割がありました。撮影したシールを友人同士で交換するという独自の仕組みが、人間関係を構築し、深めるための重要なアクションとして機能していたのです。
学校や遊び場で「一緒にプリクラを撮ろう」と誘うこと自体が、相手と仲良くなるための自然なきっかけを作りました。そして、プリントされた1枚のシートをハサミで細かく切り分け、「交換しよう」と声をかけてお互いの手帳に貼り合うことで、さらに強い絆を感じることができました。手帳に貼られたプリクラの数は、自分がどれだけ多くの友人に囲まれているかを証明するものでもあり、当時の若者たちにとって大切な名刺代わりのような役割を持っていました。
その後、全身撮影ができる機種や、瞳を大きく見せる機能など、プリクラの技術は時代とともに進化を続けていきます。しかし、誰かと思い出を共有し、コミュニケーションを楽しむという本質は、誕生した1990年代からずっと変わらずに受け継がれています。
