日本と韓国で開催されたアジア初の大会
2002 FIFAワールドカップは、日韓ワールドカップとも言われています。
この大会は、2002年に日本と韓国で開催されました。
17回目のFIFAワールドカップで、アジアでは初の大会とされています。。
日本と韓国が共同開催した大会ですが、2つの国が共同開催するというのは前例がありません。
1996年に、日本がホスト国として開催するということは決まっていました。
しかし政治的な理由などのため、最終的に日本と韓国の共同開催となってしまったのです。
日本だけの開催だと思っていた日本人も多く、予想外の結果になったことで大きなニュースとなりました。
共同開催となった理由
日韓ワールドカップが開催される以前には、2か国が共同で開催するケースはありませんでした。
本来は日本が開催国となるはずでしたが、韓国の立候補によって状況は大きく変わりました。
ワールドカップの開催は、FIFA臨時理事会で会長など21人の投票によって決められます。
このタイミングで、FIFAの会長選挙がありました。
この際に起こった政治的な理由で、日本と韓国が共同で開催されることとなったのです。
優勝はブラジルとなった
開催国である日本はグループHに入り、ベルギーやチュニジアなどと対戦しました。
世界の壁は厚く、全敗という結果に終わってしまいました。
稲本潤一など多くの実力あるプレーヤーが参加した日韓ワールドカップですが、結果を残すことはできませんでした。
日韓ワールドカップで優勝したのは、サッカーが強いことで知られているブラジルでした。ブラジルにとって5回目の優勝となりました。
2位はドイツ、3位はトルコという結果に終わったのです。
開催国である国内はお祭りのような状態になり、ベッカムのヘアスタイルを真似る人も続出しました。
ヘアスタイルにも影響を与える程、国民に関心を抱かせるイベントとなったのです。
様々な世界の選手が大活躍
日韓ワールドカップの優勝国であるブラジルですが、特にロナウジーニョが大活躍しました。
高いテクニックを持っており、戦略的な試合を行い、ブラジルの優勝に大きく貢献したのです。
サッカーが強いことで世界的に知られているイングランドも活躍しましたが、特に選手であるデイビット・ベッカムは世界中の人々を熱狂させました。
日韓ワールドカップへの出場前に骨折をしてしまいましたが、集中的な治療の甲斐があり見事出場を果たしました。
アルゼンチン戦では決勝点となるPKを決め、また独特のヘアスタイルにも注目が集まりました。
この他にドイツを2位に導いたオリバー・カーンなど、多くの有名選手が活躍をしました。
日本からは、現在でもよく知られている川口能活や秋田豊など多くの選手が出場しました。