80年代の若者カルチャー
80年代にブームを起こしたとされる竹の子族は、派手な衣装が最も大きな特徴です。
派手な衣装を着てステップダンスを踊る竹の子族が活動を行っていたのは、原宿の歩行者天国です。
80年代の前半に、原宿の歩行者天国で竹の子族が集まって踊っていました。
若い人は知らないかもしれませんが、80年代はカセットテープやレコードで音楽を聴いていました。
カセットテープを使用するラジカセを路上に置き、ラジカセを囲んで竹の子族は踊っていたのです。
ブームが最も大きかった1980年では原宿だけではなく、名古屋など地方都市でも竹の子族と同じような活動をする人が見られました。
参加者は中高生がメインだった
竹の子族として歩行者天国に集まる人たちは、多くが中学生や高校生でした。
都内に住む中高生がメインで、週末や祝日になると原宿に集まっていたようです。
土日や祝日だったら、中高生も気軽に集まれますよね。
中には大学生などもいたようですが、中高生の割合が圧倒的だったようです。
歩行者天国に集まり、終了の時刻までずっと参加者は踊り続けていました。
もしも歩行者天国が開催されなかったら、代々木公園など他所集まっていたようです。
当時原宿の歩行者天国は中高生などで溢れ返っており、ピークの時期にはメンバーは2000人を超えていたということです。
歩行者天国に2000人以上の人が集まれば、とても混雑して歩くのも難しそうすよね。
ブームは1980年だった
竹の子族のメンバーが最も多かったのは、1980年だと言われています。
この頃には竹の子族のチームは約50にも及び、総数は2000人程度と言われています。
初期では30人程度のメンバーだったことを考えると、1年足らずで一気にメンバー数が増えたのは驚きですよね。
ただ原宿の歩行者天国には竹の子族のメンバーだけではなく、見学者も大勢集まってきていました。
週末になると約10万人の人が歩行者天国に集まっていたとされており、非常に多くの見学者がいたと予想されます。
実際に歩行者天国に出かけた人は、身動きが取れないほどだったそうです。
他の集団に押され始めた竹の子族
ブームはいずれ下火になるものですが、竹の子族についても同じことが言えます。
1980年代前半には大ブームとなった竹の子族は、80年代後半になって状況は変わります。
音楽バンドやブレイクダンスなど、様々なパフォーマンスをする集団の人気に押されるようになります。
これによって、竹の子族のブームは下火になっていきました。
また90年代の後半になり、歩行者天国が廃止になってしまいました。
竹の子族は原宿から撤退し、新宿などのディスコへ活動の場を移すことになります。